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長野地方裁判所 昭和44年(ワ)92号 判決 1970年1月30日

原告

芦谷志

外二名

代理人

丸山衛

被告

宮下薫

代理人

江口保夫

外三名

主文

一、被告は、

1、原告戸谷志〓に対し、金三五万円およびこれに対する昭和四四年六月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2、原告戸谷千恵子、同芦谷秀文に対し、各金一二五万円および内金一一〇万円に対する昭和四四年六月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は二分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

四、この判決第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1、被告は。原告戸谷志〓に対し五五万円およびこれに対する、原告戸谷千恵子、同秀文に対し各三六八万五〇〇〇円およびうち金三三八万五〇〇〇円に対するいずれも昭和四四年六月一日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

二、請求の趣旨に対する答弁

1、原告らの請求をいずれも棄却する。

2、訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

第二、当事者の主張

一、請求原因

1、訴外亡戸谷増男(以下増男という)は、昭和四三年一〇月二日午後六時三〇分頃、国道一八号を軽井沢方面から上田市方面へ向け進行中の被告運転の小型乗用車(以下被告車という)に同乗していたところ、小諸市芝生田地籍において被告車が道路左側に駐車中の大型貨物トラックに追突した(以下右事故を本件事故という。)ため、同日午後七時五分頃、小諸市甲二五三九地地佐久総合病院小諸分院において死亡した。

2、被告は、被告車を所有し、自己のために運行の用に供していた者である。<以下略>

理由

一請求原因1、2の事実は、当事者間に争いがない。被告は、増男が被告車にしばしばかつ継続的に無償同乗してきたことおよび同乗の際は助手席にいて運行に関し被告に種々指示告知する等して運行支配を有していたことを理由として、増男が自賠法三条にいう他人に該当しないと争うので、この点について判断する。増男が佐久市に単身下宿しており、実家が被告の所在地近隣であるため、被告の運転する被告車に同乗して佐久市と長野市との間を往来してきたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、増男は本件事故にいたるまでが二年間にわたり増男もしくは被告に差支えがある場合を除いて休日に際しては無償で被告車に同乗させてもらつて実家との間を往復していたこと、同乗の際は助手席に居て運転中に危険を知らせたり安全を確かめたりすることもしていたことが認められるが、その間に増男が被告車を運転したことがあつたことを認めさせる証拠がなく、また右の助手席における増男の運行に関する指示や告知も被告の運転を補助するほどのものであつたとは認められないことからいつて、増男は自賠法三条にいう他人たるを失わないものというべきである。

二次に、被告は、本件事故発生の原因が、専ら道路に駐車中の大型トラックの運転者および所有者の重大な過失にある等自賠法三条但書の事由を主張しているように解せられるので、この点について判断する。本件事故発生地点が駐車禁止の場所であたのに、偶々当日早朝追突事故を起して現場に放置されたままになつていた大型トラックがあつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、附近の道路の幅員は9.16メートルで、右トラックの右側面は道路左端から2.8メートルの線まで及んでいたのであるが、右トラックの附近には車両の存在を警告する標識はなくまたトラックの後部反射板はシートで敝われていたこと(尾燈がついていたかどうかは断定する資料に乏しい)、附近道路は直線であつて視界を妨げる障害物はないが、照明施設はなく、両側が土手から田畑についているため真暗になつていること、本件事故発生当時被告車の前方を進行する車両がなかつたことが認められる。しかしながら、<証拠>によれば、被告車は本件事故現場に時速約五〇キロメートルの速度で差しかかつたのであるが、その際対向して数台の車両が進行してき、中にライトを上向きにしたまま進行してくる車両があつて被告は目がくらんだにも拘らず速度を減ずることなく進行したため、トラックの後部から約一四メートル余の距離に近づいて始めてトラックの駐車を知り、あわててブレーキを踏みハンドルを右に切ろうとしたが間に合わず追突したものであることが確められ、右のような事情のもとにおいては、前方の安全を確認することが困難な状況における自動車の運行(特に減速)に関し、被告が注意を怠らなかつたとは到底認めることができず、本件事故発生の原因をトラックの運転者もしくは所有者の過失に転稼することは許されない。

したがつて、自賠法三条但書の主張は、その余の点を判断するまでもなく失当として採用しない。

三そこで、損害額について判断する。

1、増男の得べかりし利益の喪失

増男が本件事故当時五二年(大正五年九月一六日生)で、佐久市岩村田にある北佐久農業高等学校に教頭として勤務していた事実は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、同人の死亡前一年間の収入は、合計一六三万二〇〇〇円(ただし、この中には期末および勤勉手当等の賞与も含む。)であつたことが認められる。ところで、長野県総務部統計課発行の昭和四二年度長野県統計書によれば、増男が自宅をもつていた長野市における勤労者世帯の平均一世帯一カ月の消費支出は、世帯人員四、一人につき六万七〇七五円一人平均一万六三六〇円であることが認められるが、増男が世帯主であること、前記学校の教頭の地位にあつたこと、単身で佐久市に下宿していたこと(原告千恵子本人尋問の結果によれば、下宿代は二食付で八〇〇〇円程度であつたことが認められる。)等諸般の事情を考慮し、同人の生活費は一カ月平均三万円とするのが相当と認める。したがつて前記年間収入一六三万二〇〇〇円から右生活費年額三六万円を控除すれば、年間純収益は一二七万二〇〇〇円となり、増男は本件事故により少くとも稼動可能期間中毎年右と同額の得べかりし利益を喪つたことになる。

ところで、<証拠>によれば、長野県立高等学校の教員は五五才を越えると退職勧奨を受け、一般には五九才まで在職していることが認められるので、増男も五九才まで稼動しえたものと推認され、(右年令は増男の平均余命の範囲内である。)、その間の七年間に前記純収益を一年ごとに得るものとして民事法定利率年五分の割合による中間利息をホフマン式複式計算によつて差引いて事故当時の一時払になおせば七四七万二一一〇円(円未満四捨五入)となる。したがつて、増男は、本件事故により右と同額の得べかりし利益を喪失したことになる。

2、増男の慰藉料

被告は、増男は即死同様であり、即死の場合は被害者には慰藉料請求が発生しない旨主張する。増男が本件事故発生後約三〇分経過した後に死亡したことは当事者間に争いがないところであるが、致命傷を受けたことと死亡との間に右の程度の時間的間隔があれば慰藉料請求権を取得するに妨げないものというべきである。そこで、増男の慰藉料について判断する。

<証拠>によれば、増男は前記高等学校の教頭に就任して一年一〇月後に本件事故に遭遇したのであるが、その約半年前の昭和四三年四月二二日妻愛子に死別し、老令の養母原告志〓(明治二四年一二月一九日生)、長女同千恵子(昭和二三年五月二五日生)、未成年の長男同秀文(昭和二六年二月二〇日生)の三人を残して不慮の死を遂げたものであることが認められるから、その精神的苦痛は極めて大なるものがあつたと推認し得るのであつて、これを慰藉するには一〇〇万円を以つて相当と認める。

3、原告千恵子、同秀文の右1、2の賠償請求権の相続について

被告は、死者の慰藉料請求権は、一身専属であり特別の事情のないかぎり相続されないと主張するが、当裁判所は右の見解を採らず、財産上の損害賠償請求権と同様、単純な金銭債権として、当然相続の対象になると解する。そして原告千恵子、同秀文が増男の子であることについては当事者間に争いがないから、右両名は増男の相続人として右1および2に認定した合計八四七万二一一〇円の損害賠償請求権を相続分に応じて二分の一づつ取得したことになる。

4、原告ら固有の慰藉料

(一)原告志〓が増男の養母であることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、同人は本件事故前、増男、原告千恵子、同秀文らと同居し、娘愛子(増男の妻)の死により老後の精神的経済的支柱として養子増男を頼りにしていたが、その不慮の死に遭い、老後の生活に不安を感じ、痛く落胆していることが認められるので、同人の精神的苦痛を慰藉するには三〇万円を以つて相当と認める。

(二)原告千恵子、同秀文が増男の子であることについては当事者間に争いはなく、<証拠>によれば、右原告両名は、成年に達した前後あるいは未成年のうちに母愛子を病気で失つた後、半年にしてまた本件事故で精神的経済的支柱として頼みにしてきた父を失い将来の生活にも不安を感じており、精神的苦痛は大きいものがあることが認められ、その精神的苦痛を慰藉するには、各一〇〇万円を以つて相当と認める。

5、原告らの負担した弁護士費用

<証拠>によれば、本件事故の賠償についての合意が得られなかつたため、原告らは昭和四四年五月一〇日弁護士丸山衛に本件訴訟の提起および追行を委任し(右訴訟委任をしたことは当事者間に争いがない。)、それぞれ手数料として五万円を支払いなお謝金として原告千恵子、同秀文において第一審判決言渡日に各三〇万円を支払う旨の約定をしたことが認められる。

四ところで、被告は、被告が増男の依頼によりやむなく同乗せしめていたことおよび増男は常に助手席に乗つて安全運転を補助していたのに本件事故当時は大型トラックが駐車していることを被告に告知しなかつた等によりこれらの事情を賠償額算定にあたり考慮すべきであると主張するので、この点について判断する。

増男がしばしばかつ継続的に被告車に無償同乗していたことは前記のとおりであり、<証拠>によれば、被告は北佐久農業高等学校長の職にあり、増男と同様に単身佐久市に赴任して休日に際しては長野市にある自宅に帰る生活をしていたこと、校長と教頭の間柄から同乗に際しては常に増男が「お願いします。」といつて乗り、本件事故当日も同様であつたこと、増男は助手席に乗つて左側の安全を確かめたりしたこともあつたこと、本件事故に際しては増男も大型トラックの駐車について被告に警告しなかつたことが認められる。被告本人は、増男に頼まれて同乗させていたと供述するが、同乗させることが万一の場合自分にとつても増男にとつても好ましい結果にならないと真に考えたならば、被告は上司として同乗を拒否しうる立場にあつたはずであり、にも拘らず継続的に同乗させてきたことは、増男の依頼を断りきれずやむなく応じていたものとは考えられない。また、増男が被告の運転に関し特に警告ないし注意を常時していたことを認めるに足りる証拠がないから、本件事故前に大型トラックの駐車を被告に警告しなかつたからといつて、それが直ちに増男の不注意をあらわすものとみることもない。

以上のような本件同乗の態容、特に校長と教頭という間柄および同じ方向の実家との間を往復するという生活状況の共通性からいわば自然に同乗するようになつたとみられる関係からみて、増男ないしは原告らに生じた損害の全部を被告に負担させることは衡平を失するものというべく、諸般の事情を考慮して、(イ)増男の得べかりし利益の喪失による損害のうち五五〇万円、(ロ)増男の慰藉料のうち七〇万円、(ハ)原告志〓の慰藉料三〇万円、(ニ)原告千恵子、同秀文の慰藉料各一〇〇万円、(ホ)弁護士費用のうち手数料一五万円(原告ら各五万円)、謝金三〇万円(原告千恵子、同秀文各一五万円)をもつて被告の賠償すべき金額と定めるのを相当と認める。

五ところで、原告千恵子、同秀文が本件事故による自動車損害賠償責任保険金を各三〇〇万円、被告から香典として各五万円を受領したことは当事者間に争いがないから、これを右各原告の損害賠償請求権から差引くと、被告に対し請求しうる金額は各一二五万円となる。そうすると、被告は原告志〓に対し金三五万円およびこれに対する訴状送達の日の翌日たること記録上明らかな昭和四四年六月一日から完済にいたるまで民事法定利率年五分の割合による避延損害金を、原告千恵子、同秀文に対し各金一二五万円および内金一一〇万円に対する右と同様の遅延損害金を支払う義務があり、原告らの請求は右の限度において正当として認容し、その余の請求を失当として棄却し、民訴法九二条、九三条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。(西山俊彦)

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